オーダースーツと広島の街の深すぎる関係

投稿日:2018年5月25日 更新日:スタッフブログ

広島はオーダースーツを作って楽しむのにとても適した街です。

オーダースーツ専門店というのは日本全国にあります。今回は、その中で広島という地でオーダースーツ専門店を営むということのにあたって切っても切り離せない歴史や、広島という地でこそ育まれてきた伝統や文化、広島の立地条件がつくるオーダースーツの独自性などを、私が今まで学んできたこと、感じてきたことに加えて書いてみたいと思います。

調べていくうちにその深さを随分と知ることになってしまい、ついつい長くなってしまいました。先にお詫びしておきますが、ブログというレベルから考えるとかなり長くなってしまいました。きっとすべて読むには相当な時間もかかると思いますが、お時間の許す限りお付き合いいただければと思います。

目次

戦後広島県の産業発展

中世・近世の広島の様子

さて、それではいきなりですが時代を一旦中世まで遡ってみましょう。笑

現在の広島市市街地、つまり太田川流域はほとんどが海でした。

そんな広島市を見下ろす武田山には銀山城というお城があり、武田氏が安芸国守護職として住んでおり、城下町はそれなりににぎわいをみせていました。

1550年ごろの広島デルタ

1550年頃、海岸線は今の平和大通りくらいだった

1500年代中頃、武田氏が滅亡し、広島では毛利氏が次第に勢力を伸ばしはじめます。

広島城が築城された1600年ごろ、広島市はまだ五箇村と呼ばれ、現在の広島市の多く場所は太田川の河口からなる三角州や大小の島々から成り立っていました。現在の広島市の形は埋め立てを繰り返すことにより形をなしてきたといえますが、それまでは決して農業的に恵まれた土地ではありませんでした。

広島市はもとより、もともと平野部の少ない広島県は、農業的な発展は限られていましたが、しかし代わりに山間部を中心として鉱産資源に恵まれていたという歴史があります。

加計町の民俗資料館の様子

加計町(現在は安芸太田町)の民俗資料館では当時の暮らしぶりを見ることができる

ですから、農業の発展が限られる代わりに、かつて中国地方では島根県、鳥取県と並んで広島県は製鉄業が盛んでした。

広島市に近いところでは現在の加計町あたりなどで、たたら製鉄がとても盛んでした。山間部で製鉄が盛んな理由は燃料となる炭の確保が容易なことが主な理由です。現在でも広島では安芸十利と呼ばれるハリ、ヤスリ、イカリなどの鉄製品が伝統工芸品として盛んですが、山間部で製造された様々な鉄製品が、広島市をくまなく流れる太田川などにより下流の街に運ばれていたという理由があります。

たたら製鉄を表した巻物のレプリカ

たたら製鉄を表した巻物のレプリカ

屈指の生産量を誇った鉄と、流通や消費の面で市内を多く流れる河川は大きく関係しあっていました。

たたら製鉄の終焉と、軍需産業

盛んな鉄生産がのちの産業に与えた影響は実に大きいのですが、このたたら製鉄自体は時代の流れとともに衰退の一途をたどります。

戦前より、広島市には陸軍の第五師団があり、呉市にも海軍拠点の鎮守府が置かれていました。このことは広島の産業発展に大きく影響していきます。

次の章で詳しく書きますが、広島市に陸軍被服支廠が置かれます。また呉市にはあの戦艦大和を建造した県内最大の呉海軍工廠が設置されます。広島市はもちろんですが、海軍工廠が呉に置かれたことは呉の産業や街自体の発展に大きく関係し、当然ながら隣町の広島もその影響を大きく受けることになります。

潜水艦や軍艦を間近に見ることができる、呉の「アレイからすこじま」

潜水艦や軍艦を間近に見ることができる、呉の「アレイからすこじま」

例えば自動車メーカーのマツダは、かつて呉海軍工廠などの軍需の協力工場として軍需品の製造を行っていましたし、観音の三菱重工業広島などもおなじく軍需品の製造を行っていました。

つまり、広島市と呉市に、工業や衣服などの大きな工場を設置されたことで民間でも様々な軍需工場が出現したのです。

広島のオーダースーツテーラーの歴史

オーダースーツと広島の関係

やっとオーダースーツというキーワードが出てきました。笑

あえてオーダースーツと書いたのは後で出てくる既製品のスーツを分けるためです。

1900年代初め頃、このころはスーツといえば一着一着体に合わせて仕立てるオーダースーツが圧倒的な主流でした。

ところで、先に出てきた広島市の陸軍被服支廠ですが、Wikipediaには

被服廠が取り扱っていた品目は軍服や軍靴だけでなく、マント・下着類・帽子・手袋・靴下等の外、背嚢・飯盒・水筒・ふとん・毛布・石鹸・鋏・小刀・軍人手帳等の雑貨まで含まれていた。

大正・昭和時代に入り戦線が拡大すると、武器や戦備の多様化に対応して防寒服・防暑服・航空隊用・落下傘部隊用・挺身隊用被服あるいは防毒用被服なども取り扱うようになった。これらの物品のうち、被服廠では軍服の縫製と軍靴の製造が主となり、その他の物品の製造については民間工場に依託され、被服廠では受発注業務・品質管理・貯蔵・配給業務を主として行っていた。

陸軍向けの軍服や軍靴の生産、被服類全般及び小物や雑貨の調達・貯蔵・配給を行う一方で、中国・四国・九州地区におけるこれらの物資を生産する民間工場の管理指導、国民の被服監督なども行っていた。

引用:
Wikipedia “広島陸軍被服支廠” https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%A2%AB%E6%9C%8D%E6%94%AF%E5%BB%A0、(参照2018-05-24).

とあります。

つまり身にまとう服全てです。

スーツの原型が軍服であることは、スーツにご興味のある方ならご存知の方が多いと思います。

軍服からオーダースーツに変わっていった歴史を調べてみるのも面白いのですが、今回の広島とオーダースーツというテーマからは外れるのでまたの機会にします。

さて軍服を製造するということはオーダースーツ縫製の技術の上昇にもつながります。

大きな被服工場が出来たことでその製造過程の小物や、製品自体が民間工場に依託されたくさんの衣服が作られました。また被服支廠自体が民間工場の管理指導も行っていたため、のちにオーダースーツ縫製技術の基礎となる縫製技術は民間に深く浸透していくのです。

呉市、灰が峰からの夜景

呉市、灰が峰からの夜景

呉がオーダースーツに与えた影響

広島のオーダースーツの歴史を紐解くとき、呉の存在は欠かせません。

海軍鎮守府と海軍工廠のおかげで、呉の街は大きく発展しました。民間委託された軍需工場がたくさん出来たからというのも理由の一つではありますが、何より人が多く集まるところは景気も良くなり自然と活気があふれます。

非常に数は少なくなりましたが、現在紳士服の専門店やオーダースーツのテーラーとして営業なさっているお店さんが、実は戦前、戦中は被服支廠や旧海軍兵学校の生徒さんたちの服を作っており、戦後はその技術を生かしオーダースーツのテーラーへと転身を遂げたオーダースーツテーラーもたくさんあります。

広島におけるオーダースーツ屋の歴史と背景

城下町の役割、呉服屋(ごふくや)さんからオーダースーツテーラーへ

平成24年の調べでは、広島県の卸売業、小売業のの事業所数はそれぞれ全国11位でした。

卸売業、小売業が多く存在し、中小零細のたくさんの企業がひしめきあう広島の街は、江戸時代からすでに城下町という性質上、日本古来のオーダースーツともいうべき呉服屋さんが多数存在していました。古くは呉服を扱っていたお店が業態変更などでオーダースーツを扱い始めたという経歴のテーラーも多数あります。

これはもちろん広島だけの話ではありませんが、オーダースーツテーラーやオーダースーツそのものの歴史をたどるとき、日本古来のオーダースーツとも呼ぶべき呉服屋さんの存在をなくしては語れません。

和服から洋服へ、オーダースーツの必要性

太平洋戦争より前、それまでは着物などの和装が中心の日本において明治天皇が自らフランス風の大礼服姿で国民の前に登場したことで洋装が一気に普及し始めます。

また、まさに文明開化の前夜、当時唯一の大学であった帝国大学の制服に金ボタン式の詰襟が採用されたことなどが、もしかするとスーツなど洋装文化への切り替わりの大きなターニングポイントだったのかもしれません。

いずれにせよ、明治から大正時代にかけて、それまでは和装が中心の世の中にスーツなどの洋装が出現しました。

今回のブログではオーダースーツと広島の関係について深く掘り下げているので、スタイルの変化についてはまた別の機会にしたいと思いますが、ちなみにスーツスタイルが輸入されはじめた初期のころはスリーピーススーツ(上着、パンツ、ベストの3点セット)のものが主流でした。

2ピーススーツの基本形

2ピーススーツの基本形

現代においては2ピーススーツ(上着、パンツ)が主流ですが、オーダースーツ業界ではまた3ピースの流行も到来しています。

選んだ生地から仕立てていくので、2パンツや3ピースなどの変則的なご注文にも自在に対応できるオーダースーツならではといえばならではなので、3ピーススーツこそオーダースーツでお仕立ていただいてみたいのですが、このあたりのお話もまた別の機会にします。(笑)

繊維産業の一大都市、備中備後地区の存在

後の章で詳しく書きますが、福山・岡山の備中備後地区は日本を代表するデニムの産地として有名です。デニムはオーダースーツに直接は関係なさそうですが、同じ繊維業であることに変わりはありません。

商品としては全く違う両者ですが、ファッションセンスや衣服に親しむという意味で土壌を作り上げてきたことはいうまでもありません。

特に最近ではデニムでオーダースーツを仕立てる方も増えてこられており、成り立ちや背景だけではなく実際にも関係がかなり深くなってきています。

デニムで仕立てたオーダースーツは、一見普通の濃紺のスーツのように見えながら、それでいてカジュアルなテイストがとても面白い仕上がりになります。

アウトポケットにしてみたり、ミシンステッチを入れることでデニム独特の風合いを活かしながらそれでいてフォーマル感も出せる面白い一着になります。

お考えの方はぜひ「広島えびすテーラー」までご相談ください。

立地条件から見る、オーダースーツの最適都市広島

繊維産業の盛んな備中・備後地区

広島県東部、備後と呼ばれる地区と、岡山県西部、備中と呼ばれる地域では古来より繊維業が盛んでした。

伊予絣(いよがすり)、久留米絣(くるめがすり)とならんで、日本の三大絣の一つともされる【備後絣】(びんごがすり)が生産されていたのが備後地区です。

江戸時代後期に富田久三郎が考案された備後絣は、当初文久絣とも呼ばれ井桁の柄の絣模様は女性用の耕作作業着などで愛されました。

最盛期には国内シェアの7割を占めるに至っており、その生産の多くは家内工業によりおこなわれていました。昭和50年代ごろまでは福山市芦田町では多くの家庭から織機の音が聞こえる家庭が多かったといわれています。

岡山県倉敷市児島のジーンズストリート

岡山県倉敷市児島のジーンズストリート

また備中地区では藍染が盛んでした。

岡山県の井原地区では現在では世界的なデニムの産地ですが、この井原地区は江戸時代ごろから厚手の綿布が作られていました。

そして明治34年、井原で小倉という種類の生地の生産が始まります。

この小倉織とは綿織物の一種で福岡県の小倉で作られていたことからこの名前がついています。

井原地区で作られる小倉織は「備中小倉織(備中小倉)」と呼ばれ、この記事が現在の国産デニムのルーツになったことは言うまでもありません。

西に海の玄関口「博多港」、東に「大阪」

実は広島はオーダースーツを作るのに最適な位置にあります。

西には海の玄関口である博多港があります。広島えびすテーラーのオーダースーツは全て日本国内縫製ですが、舶来の生地は船で日本に輸入されることもあります。

広島えびすテーラーでは完全国内縫製で舶来の様々な生地を楽しむことができる

広島えびすテーラーでは完全国内縫製で舶来の様々な生地を楽しむことができる

オーダースーツの表地、つまり生地の入荷や配送が早く見込めるので仕上がりまでの日数が若干ではありますが早くなることがあります。

生地は船便だけではなく空輸されることももちろんあります。その場合、関西空港は空の玄関口として大きな役目を果たします。

また大阪の街は今も昔も天下の台所と呼ばれるだけあって、オーダースーツの生地を扱う大卸(おおおろし)がひしめき合っています。また裏地を扱うメーカーさんや、シャツの工場なども大阪には多く存在します。

また少し北に行くと京都があります。

京都は昔から高級な織物が盛んな土地です。オーダースーツに大きく影響する事といえば、ネクタイの製造メーカーが多数存在することです。

またオーダースーツの国内縫製工場はいくつもありますが、関西、九州、山陰地方などにあり、広島はその中間に位置します。

さらに繊維業の盛んな備中備後地区を備える広島はまさにオーダースーツを作るのに最適な立地と言えるかもしれません。

 

流行、ファッションから見た広島の立ち位置

新商品はまず広島で試す⇒広島で売れたら日本で売れる

お聞きしたことのある方もいると思いますが、大手企業が新しい商品を開発したとき、まず広島と静岡で試験販売することがあります。

これはなぜでしょうか。

新商品というのは、スーツなどのメンズファッションだけではなく、食品や化粧品様々な分野の新商品です。

各社、新商品の開発が終わると、まず広島と静岡で試験販売します。そして、その結果をふまえ全国展開へのアプローチや広告手法などを考えます。

都会的一面と田舎の一面をかなえ備えた平均都市

実はこの理由は広島の特殊性にあります。

広島(静岡も)は日本の縮図だといわれています。

広島には山もあり海もあります。都市や農村地帯などが程よくあり、人口に対する年齢構成も日本の縮図といえるそうです。

さらには景気の面もすこぶる良いわけでもなく悪いわけでもない。至って平均です。

ですから物価や世帯当たりの消費支出額なども日本の縮図といえます。

しかも大阪や福岡、などの大都会から適度に離れているので他県の情報の影響を受けすぎることがありません。

オーダースーツの流行という面から考える

このことを、ちょっとオーダースーツの視点で考えてみましょう。

オーダースーツをはじめスーツ業界全体にいえることですが、流行がないようで実はかなり流行があります。流行の振幅は大きくゆっくりですが、見た目に大きく違います。

近年の流れで言うと、15年くらい前までは3つボタンのスーツが大流行していました。その後あっというまに2つボタンのスーツが主流になりました。

広島市城南通り沿いの「広島えびすテーラー」

広島市城南通り沿いの「広島えびすテーラー」

この2つボタンのスーツの流行は比較的長かったですが、流行に敏感なオーダースーツ業界ではすでに3つボタンのスーツに戻っていきつつあります。

しかし、以前のオーダースーツと同じ3つボタンスーツかというと全然違います。肩幅や胴回りは一回り細くなっていますし、2018年現在では段返りの3つボタンから流行が始まっているようです。

上着だけではなく、パンツについても流行があります、2つボタンの流行が始まってしばらく経ったころ、主にオーダースーツ業界から先発してデザインが細くスリムになっていきました。

細くなるにつれて、パンツのタックはなくなりそれまで主流だった2タックから1タックを一気に飛び越しノータックの勢力が圧倒的になりました。

オーダースーツの観点から考えるとノータックスーツというのはデザインを体に沿わせることから始まるのでよりスリムなノータックオーダースーツはオーダー業界と相性が良かったということもあります。

しかし、またここ数年では1タックのスーツというのも見かけるようになりました。オーダースーツ業界では数年前からその兆しがありましたが、2018年現在、1タックパンツのスーツというムーブメントは少しずつ大きくなってきていると考えることができます。

流行の試験地

広島と静岡が新商品の試験地であることは述べました。それは日本の縮図のような場所だからです。

日本の縮図である広島で新商品や流行が試されるのだとすれば、ファッション(オーダースーツ)の流行も「産まれる」とまでは言えませんが、敏感な街だという事ができます。

例えば最近のオーダースーツ業界では、シングルのオーダースーツからダブルのオーダースーツへと注目が移ってきています。

もちろん、街を歩いていて見かけるのはスーツはまだまだシングルが中心ですし、2018年時点のご注文量もシングルの方が圧倒的に多いです。

しかし、流行に敏感な方はダブルブレステッドのスーツも試して見られたり、また秋冬に向けてイメージを膨らませつつあります。

日本の縮図である広島の街では、最新のファッションを着る、またはそれを見ることに対して、ある程度の受け皿があるとも言えます。

あまりに最先端すぎるファッションを着るには恥ずかしい場合でも、街全体がそれを受け入れることができる程度にファッション的に成熟している街。それが広島です。

広島の未来を見据える

広島を訪れる観光客の増加とホテルの増加

広島えびすテーラーはオーダースーツ専門店ですが、立地的にはいわゆる街中の繁華街のど真ん中よりは少し外れた位置にあります。

店舗の所在地は広島市鉄砲町という住所になります。近くには広島城や縮景園、広島県立美術館などがあり、文化的、観光地的にもすばらしい街です。

目の前には広島女学院高等学校の外塀沿いの藤棚が見え、季節には、やわかな緑色がヒラヒラととても涼やかな景色も素敵です。

さて、この広島えびすテーラーのある鉄砲町界隈に最近大きなホテルが2つ完成しました。そしてまだまだ海外の観光客に向けなのかもしれませんがホテルの建設ラッシュでもあります。

それに伴い増加する外国人労働者

海外の観光客の増加に伴い、同じように増えているのが外国人労働者の人数です。一口に外国人といっても様々な国の方たちが広島で働いています。

広島えびすテーラーでよくお見かけする外国人の方はなぜかアメリカ出身の方が多く、アメリカのオーダースーツ事情についてお伺いすることも時々あります。

オーダースーツに関する日本の流行でいうと1タックやダブルが流行ってきたとはいえ、まだまだスリムなデザインが主流であることに変わりはありません。

しかし、外国の視点からすると少し変わります。

米国のビジネスマンから見たオーダースーツ

米国出身の方にお伺いしたところ、スリムなスーツはそれほど求められていないようです。

しかもその辺ことを調べていて日経新聞のある記事で見つけたのですが、アメリカではスーツに個性は不要らしいです。

アメリカは多様性国家なので、相手がどんな人かなどを雰囲気から読み取ることが難しく見た目が人に与える印象が大きいとのことです。ですからビジネスパーソンにとっての記号がスーツなのであれば、パリッとしたスーツを着ることこそが重要で、奇抜なスーツは必要ないとのことでした。

つまり、自己表現したい欲求を抑え「職業人としてどう見られるべきか」が最優先されるということです。

「個性的なスーツは仕事の邪魔になる」ということです。

このあたり、面白そうなのでまた別の機会に掘り下げてみたいと思いますが、少なくとも単一民族国家である日本と、他民族国家であるアメリカのスーツに対する捉え方が違っているとのことでしょうね。

「宮島」と「原爆ドーム」の持つ国際的な役割

広島の人気観光スポットとして「原爆ドーム」と「宮島」はあまりにも有名です。この二つは圧倒的な存在感で外国人観光客のみならず日本人の観光客も呼び込みます。

この二つの観光スポットの性格は全く違う気がしますが実は共通点があります。

原爆ドームは、いわゆる広島の象徴です。

原爆ドーム周辺は観光客や修学旅行生でにぎわう

原爆ドーム周辺は観光客や修学旅行生でにぎわう

広島は世界で初めて原子爆弾が落とされた街であることは、いまさら言うまでもありませんが、その後奇跡的な復興を遂げ、その過程で生まれた文化などは今なお広島の街に根強く息づいています。広島人の気質というか街の持つ性格はこの「復興」によるところが大きく、気質にも大きく影響を与えています。

原爆ドームとその周辺は原子爆弾投下当時の広島の様子を細かく伝える資料とともに、歴史の証人として大切な役割を担っています。

また宮島こと「厳島」には世界の平和的役割はありませんが、大鳥居と海中に建つ回廊などがとても独特で多くの外国人観光客が訪れています。その理由は「日本っぽい」という理由が多いようです。

この二か所の共通点は「日本らしさ」を点です。

宮島はもちろんいわゆる日本らしさという点で分かりやすいです。例えば京都がそうです。その他にも浅草寺や白川郷の合掌造りなどもそうです。当然と言えば当然ですが、「日本らしさ」を堪能できることが外国人観光客が広島を訪れる引き金になっています。

原爆ドームも「和」テイストな日本っぽさはあまりありませんが、日本の歴史を考えた時に避けては通れないスポットであるということです。

以前、何かのデータで読んだのですが、アジア系の外国人の広島を訪れる観光客数は他県の割合から考えると決して多くはないそうです。

アジア系の外国人の訪問県別ランキングでは10位にも入っていないのに、米国人の訪問県別ランキングでは広島は5位くらいに入っていました。

このあたりには、「原子爆弾」に関する当事者同士ということが関係しているのかもしれませんね。

広島の未来

このように広島には広島独自の観光資源があります。

和っぽさを体験できる宮島は、日本らしさを体験できるスポットでもありますし、原爆ドームは平和の象徴です。

しかし、これらを観光資源だけで終わらせるのはもったいないです。

広島が自分たちの持つ資源をフルに活用して世界に発信すべきこと、その中でも広島にしかできないことがたくさんあります。

それは戦争の悲惨さを世界に伝えることです。

2016年にオバマ大統領(当時)が広島に訪問した際、広島ではとても大きな話題になりました。その政治的な意味は置いておいて、オバマ氏が戦後70年以上もたって広島を訪問したことで、広島は自分たちが世界に発信できることの価値を再確認できたと思います。

広島はもっともっと国際的な都市になれると思います。

和の文化を海外に伝え、これから人類が最も必要とするであろう平和の大切さを伝える。

この二つの事をバランスよく発信していける都市、それが「広島」であると考えます。

安芸の宮島、海に突き出た回廊は幻想的

安芸の宮島、海に突き出た回廊は幻想的

オーダースーツはもともとは西洋の文化ですが、あえて「広島えびすテーラー」という店舗名は和風の雰囲気が漂う名前をつけました。

「えびす」の由来についてよく聞かれるのですが、これも実はすごいたくさんの物語と思いがあるので別の機会に書いてみようかと思いますが、広島ならほとんどの方がご存知のえびす神社にも由来しています。

西洋の文化と和の文化(広島の文化も)が良い具合にミックスして、これからの広島の未来を作っていけたら、そのような考えも詰まっています。

インターナショナルな場でのオーダースーツの必要性

オーダースーツはもともと西洋の文化ですが、今や日本にも深く浸透しています。

公式な場で着る公式な衣類として「スーツ」は一般的な衣類になっています。

広島という街がこれからますます国際的になっていくにつれて、ひと目で上質な雰囲気が漂うオーダースーツの必要性はこれから益々必要になってきます。

体にフィットし上質なオーダースーツでしか出せない存在感がある

体にフィットし上質なオーダースーツでしか出せない存在感がある

広島が国際色豊かな街になっていくと様々な国の人と話すことが増えてきます。お互い目を見れば相手の事が分かる日本人同士ならまだ大丈夫かもしれませんが、アメリカのビジネスマンがそうであるように、色々な国の方を相手にビジネスや交渉を進めていくときに、上質なオーダースーツというのはある種、信頼性の証となるかもしれません。

各国元首同士の会議や交渉がそうであるように、きちんとしたオーダースーツを着ていることは、それ自体が交渉の成功率アップにもつながります。

オーダースーツはインターナショナル

広島ドラゴンフライズのオーダースーツを作って分かったこと

広島えびすテーラーは広島ドラゴンフライズの公式スーツサプライヤーです。

広島ドラゴンフライズは、ご存知の通り広島のプロバスケットボールチームです。

バスケットボール選手は皆さん一様に背が高くしかも、肩幅も腕も長いです。そして皆さん一様に太ももが太い。もちろんバスケットボール選手だけに限らずスポーツ選手はほとんどの方が、パフォーマンスを最大限に引き出すために様々な鍛え方をしてらっしゃるので、体型にとても特徴があります。

広島ドラゴンフライズの選手も同様に実にアスリートらしい体型をしています。

普段はユニフォーム姿の彼らも、年に数度のファン感謝のイベントや移動の際にはスーツを着ることがほとんどです。広島えびすテーラーはその選手やコーチらがイベントや移動の際に着用するオーダースーツを無償供給しています。

そしてそんな彼らを一人ずつ採寸し、着用イメージなどをお伺いし分かったことがあります。

広島えびすテーラーがスーツ供給をしている広島ドラゴンフライズ

広島えびすテーラーがスーツ供給をしている広島ドラゴンフライズ

それは皆さん一様にデザインにとてもこだわられるということです。

特に外国人選手の方はパンツのデザイン(シルエット)や上着のシルエットをオーダーするときに様々なご要望を頂戴することがあります。もちろん体型的な補正もなのですが、「ここはもう少し細く」や「これくらいの着心地で」などなど様々です。

それまでは勝手なイメージで、スポーツマンの方はスーツはあまり興味ないかな・・と思っていましたが、全く逆です。

細部までのこだわりはかなり強い方が多いということです。

もしかしたら、海外でのオーダースーツ文化の違いなどもあるのかもしれませんね。

日本人はスーツを好む?

以前、ある生地商社の方とお話をしていて聞いたのですが、とあるイギリスの生地メーカーの人がその昔、日本の空港に降り立ってあたりを見回し時にスーツを着ている人の多さにびっくりしたといいます。

そして、その人はその時に日本でのビジネスの成功を確信したと聞いています。

確かに言われてみるとスーツを着ている日本人の数は多いような気がします。昨今でこそクールビズなどによりカジュアル指向が進んでいますが、それでもまたごく最近ではクラシック回帰の動きが強く、広島でもちょっとかっちり目のブリティッシュ調のオーダースーツをオーダーされる方がかなり増えてきました。

また、もともとオーダースーツを作られていた方は、既製品ではほとんど見かけなくなったダブルのスーツやゆとりがあるパンツでのスーツをオーダーされることが少しずつ増えています。

各国首脳がこぞって選ぶスーツ生地

日本の政治家のみならず、海外のVIPがこぞって選ぶオーダースーツの生地があります。

それはErmenegildo Zegna(エルメネジルド・ゼニア)やSCABALやLoroPianaなどがそれです。

これらの生地は高価です。高価ですが人気を集め続けている理由はやはり品質にあります。このあたりの高級と呼ばれる素材の表面は独特の上質な光沢があります。

ただ光沢を出すだけなら、素材自体にポリエステルを混紡すると簡単に出すことはできるのですが、オーダースーツ用高級生地と呼ばれる生地は独特としか言いようのないような光沢があります。

この光沢の理由は、極端に細い糸とその均一性にあります。

例えば研磨されていない鉄の塊は光沢がありませんが、磨き上げると鏡のような光沢を放ちます。表面がざらざらでデコボコしているか、真っ平に磨かれているかというのがこれの原因ですが、生地でも同じです。

生地は磨くことはできませんが、極細で均一の素材を用いることで、それと同じような効果があります。極細で均一の繊維を作り出すことは並大抵のことではありません。言葉で説明するのは簡単ですが、それを形にするには歴史と伝統に加え、職人さんや羊毛農家の方々のたゆまぬ努力があってこそ成り立っています。

そういった背景と物語の重みこそが、高級なオーダースーツに使われる素材の放つ独特な光沢の本当の理由なのかもしれません。

広島のオーダースーツ専門店としてできること(まとめ)

19世紀のイギリスで生まれたスーツですが日本に入ってきたのは幕末末期~明治時代以降と言われています。

最初にスーツが伝わった地方は今となっては知るすべもありませんが、和装中心の当時の世の中において西洋から伝わったスーツはある意味では奇妙であり、ある意味では憧れの的であったに違いありません。

今でこそ街を歩けばどこにでもあるスーツですが、ほんの数十年前までは超高級品で、男性が初任給で憧れの三つ揃いのスーツをオーダーメイドで仕立て、出身の田舎に着て帰るのが楽しみで仕方なかった。といった話は年配のお客様からもよく聞きます。またその頃は既製品はなくスーツと言えばオーダースーツが基本であったといいます。

衣服の簡略化などで既製品に主役の座を奪われた感のあるスーツですが、体を綺麗に包み込み、欠点を補い、長所を生かし、ボディラインをより素敵に見せるオーダースーツの素晴らしさはいつまでたっても色あせることはありません。

さてそんなオーダースーツですが広島という街がそれを作ること、楽しむこと、その両面で最適な街であることはすでに述べました。広島はその立地条件としても、また広島という街が歩んできた歴史からみても、そしてファッションを楽しむという意味においても。どのような面から見ても広島はオーダースーツを今よりも、もっともっと楽しむことが出来る街だと思います。

今は使われないシンガーミシンだが、想いはたくさん詰まっている

当然といえば当然ですが、広島でオーダースーツのお店を構えるということは、広島の街を歩かれるビジネスパーソンの何パーセントかの方が着られるオーダースーツをご提供するということです。

「広島えびすテーラー」の「えびす」は七福神の一人「えびす様」から頂戴しています。広島市中区のえびす通りにあるえびす様です。由来にはたくさんの物語と思いがあると書きましたが、そのうちのひとつに、広島えびすテーラーで作られたオーダースーツを着ていただいた方に「えびす顔」になっていただきたい、という思いがあります。

それと「えびす様」は商売の神様でもあります。

広島えびすテーラーのオーダースーツでビジネスをされる方は多くいらっしゃると思いますが、ビジネスとはまさに商売のことです。

お店に来られる方は、広島の街の色々な方面でお仕事をしてらっしゃる方が多いです。広島えびすテーラーのオーダースーツを着て臨んでいただいたお仕事で、ご自身のビジネスの成功、それからもちろんプライベートでも成功していただきたい。といった思いも込められています。

広島という街は「オーダースーツを作って楽しむ」という意味でとても楽しみやすい環境にありますが、そんな街で商売をさせていただく以上、私の大好きな広島の街に何かお返しをしたい。ということは常々考えています。

それがどのような形が正解なのかは今はまだ分かりません。

広島市城南通りの夕暮れ

広島市城南通りの夕暮れ

ただ、オーダースーツのテーラーという立場で考えると、まず一歩目としてはお客様のビジネス・プライベートの充実を心の底から願うこと。まずはオーダースーツをとことん楽しんでいただいて、ビジネスもプライベートもどんどん成功させていただく。

そして少しずつではありますが、そのような方が増えることで広島の街がもっと元気に、活気があふれ楽しい街になっていく。

そんな大きな歯車の歯のひとつになり、皆様のお仕事やプライベートの応援をさせていただく。それこそが広島という街でオーダースーツテーラーを営む「広島えびすテーラー」の夢でもあります。

 

2018年8月13日 -追記

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